聖書はギャンブルについてどう説いている?

聖書はギャンブルについてどう説いている?

多くのクリスチャン達はギャンブルについて疑問を抱いており、それが罪なのかどうか悩んでいる人もいます。当然ながら、カジノ、宝くじ、その他のギャンブルゲームは、聖書の中にはでてきません。しかし神は、誘惑について人々に諭す方法を模索していました。

人生を誘惑に支配されてしまうと、いかなるゲームであれ罪につながっていきます。聖書がギャンブルについてどう説いているか知りたい方に向けて、以下にて聖書の節をご紹介します。ギャンブルに耽るべきか否か、ご自身で判断してみてください。

使徒言行録 20章35節

「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すように、わたしはいつも身をもって示してきました。」

伝道者の書5章10節

「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。なんこれもまた、むなしい。」

エペソ人への手紙4章28節

「盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。」

ルカ12章15節

「続けてイエスは群衆に言われました。『貪欲にはくれぐれも注意しなさい。どんな金持ちでも、人のいのちは財産とは無関係なのですから。』」

箴言13章11節

「急いで得た富は減る、少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。」

箴言28章19節

「自分の田地を耕す者は食糧に飽き、無益な事に従う者は貧乏に飽きる。」

ギャンブルは罪か?

ギャンブルについて迷っている方に向けて、多くの敬虔なクリスチャン達が言っている言葉をご紹介しましょう。― お金も時間も神のものだ。あなたの持つお金と時間があなた自身のものであるなら、それらをどうしようとあなたの勝手だ。しかし、あなたのものではない時間とお金をギャンブルで浪費することは、神の目から見てあなたは盗人だ。そして聖書は盗人についてきわめてはっきり述べている—盗人は天国へは行けない。

十戒

出エジプト記20章17節には、貪欲に関する十番目の戒律が書かれています。この戒律によると、貪欲は私たちの問題の多くの根源となっているそうです。では、貪欲とギャンブルは、どんな関係があるのでしょうか?なぜ人はギャンブルをし、運任せのゲームをするのでしょうか?

その答えは、もっとお金が欲しくて、しかも簡単かつ素早く手に入れたいからです。

テモテへの手紙 6章10節では、「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。」と言っています。したがって、ギャンブルの誘惑と運任せのゲームをすることは、この教えに当てはまります。しかし、それだけではありません。聖書によれば、神はすべての人に才能を与えており、その才能にはお金、時間、影響力が含まれます。この世の人生の最後には、すべての人が神に対し、自分の与えられた才能をいかに使ったかを説明しなければなりません。才能が無駄に使われた場合には、快楽にふけった人々とその家族はその代価を払わなければなりません。ギャンブル中毒者の家族は、ほとんどの場合、必要もないツケを払わされることになります。

結論はいかに?

信仰者なら誰でもご存知のように、ある種の教会や宗教団体は、ビンゴや宝くじを利用して、慈善事業や教会のための資金集めを行っています。しかし多くのクリスチャン、特に極めて保守的なクリスチャンは、いかなるギャンブルも認めません。ビンゴ、ポーカー、競馬、ルーレット、ブリッジ、はたまたコインを投げて順番を決めることさえ、すべて認めないのです。一体なぜ、そこまで厳格なのでしょうか?

聖書によると、行き当たりばったりの確率に頼ることは、生きる上で良い方法とは言えず、むしろ知恵、知識、勤労によって生きるべきであり、それらは神からの賜物だということです。あるべき姿としては、自分の周りの世界を理解し、その情報に基づいて、自分自身と家族および地域社会のためになる決定をすることなのです。